新渡戸稲造

ニトベイナゾウ 新渡戸稲造

プロフィール

南部藩士の子として盛岡に生まれる。札幌農学校では内村鑑三と同期。卒業後米国とドイツに留学して農業経済学などを学び、帰国して札幌農学校助教授に就任。健康を害して米国カリフォルニアで療養中に『武士道』を英語で執筆する。また後藤新平に招かれて台湾の農政に従事、糖業発展の基礎を築き、その後京都帝国大学教授として植民政策を講じる。次いで東京帝国大学教授と第一高等学校校長を兼務、東京女子大学学長ほかも歴任。さらに国際連盟設立に際しては事務次長に就任、国際理解と平和のために尽力する。帰国後は太平洋問題調査会の理事長に就任し、太平洋会議の京都での開催や日本代表団の団長として活躍。米国で年間100回以上の講演を行うなど、当時悪化しつつあった日米関係改善に努める。1933年、カナダで開催された太平洋会議出席後に病に倒れ、ヴィクトリアで没する。